類似現象>

Home    現象   名所案内  人名リスト    書籍  珍 説奇説  類似現象  隕石亭雉子星   流星音

 類似現象                                              


ツングースカ異変現象に似た現象がいくつか知られています。つ まり宇宙物体によると考えられる爆発現象と、物体の破片 すら見つかっていなく正体不明ということです。ツングースカ異変同様に謎が 多く、解明されていませんが、類似現象からツングースカ異変を解明する手がかりをつかめるかもしれません。しかし、近代のものはツングースカ異変現象と比 較すると爆発のエネルギーなどは桁違いに小さく、単純な比較はできません。 

1. 1110年2月11日、トルコ 
2. 1200年 (?)頃、ニュージーランドのタパヌイ地域で起きた爆発
3.1737年12月16日、アイルランド

4.1930年8月 13日、ブラジル
5. 1935年12月11日、イギリス領ガイアナ
6. 1984年4月9日、三陸沖
7. 1993年5月28日、オーストラリア
8. 1994年1月18日、スペイン
9.2001年4 月18日、ヨルダン

 

1. 1110年2月11日、トルコ トルコ 
ロ シアの天文学者 I.S.Astapovichの研究によるとロシアとアルメニアの年代記の中にキエフからトルコのVan湖にかけて大音響を伴なう大火球 が見られたとの目撃報告があるそうです。ロシアの年代記では2月11日と日付もはっきりしています。古代アルメニアの年代記では1110年の冬の夜、 Van湖に恐ろしい唸りとともに赤い塵に伴なわれて燃える流星が落下し、湖の波が岸に押し寄せて多量の死んだ魚を残し、湖の水は赤い色に染まったというこ とです。

1974 年、ドイツ・トルコ共同調査隊がVan湖の地質、水理、地球化学的の総合調査を行いました。堆積物は隕石(?)落下の年代と一致する部分で激変していまし た。
また隕石起源とみられる磁気異常が見つかり、磁気強度の等値線は楕円形をしており、その長軸は北西方向でキエフの方角になります。現象の規模はツングース カ異変に匹敵すると推測できるそうです。

  *次の資料を参考にしました
ГИГАНТСКИЙ МЕТЕОРИТ 1110 ГОДА
В.Ф.Чистяков (1997)

2.1200年 (?)頃、ニュージーランドのタパヌイ地域で起きた爆発
Newzealanad約800年前にニュージーランド南島南部地域にツングースカ異変現象と類似の大規 模な森林火災が発生した、という研究があります。
その場所は46°04′S  、169° 09′E でLandslip Craterと呼ばれる
構造があります。このクレータは衝突クレータではありませんが、大変動があった一応の証拠は揃っているそうです。
土中の炭化した木片は800年前に集中し、大火災があったことを示しています。またこの時期の樹木倒伏はこの場所から40〜50kmは放射状に外向きで、 それから放射状に内側に向かう傾向があるとの研究があります。これは爆発がより近くの樹木を外向きに倒し、爆発後の火災旋風で生じた噴き上げが内向きの倒 伏の原因になっていることを示唆しています。
しかし、約800年前の倒木が残っていることが驚きですし、その倒伏方向はどの程度信用していいものでしょうか。珪酸塩の小球が周辺で発見されているなど の鉱物的な証拠もあるらしいのですが、決定的なものではありません。
科学的証拠のほかに現地周辺には爆発を意味する地名が多く、他の場所と異なっているそうです。現地マリオ族の伝説には天空からの落下、宇宙からの破壊的な 火を物語るものが多くあるといいます。しかし、これも事件を証明するものではありませんし、年代を確定できるものでもありません。  

*次の資料を参考にしました
   THE TAPANUI REGION OF NEW ZEALAND: SITE OF A "TUNGUSKA" AROUND 800 YEARS AGO?
              Duncan Steel  &  Peter Snow       Asteroids,Comets and Meteors 1991, Houston, 1992

3.1737年12月16日、アイルランド
アイルランドのキルケニーでは夜大きな火の玉が現れ、それは爆発し 島の大部分を震動させた。火の玉は半球状になり硫黄が燃えるように、やがて燃え尽きた。別の目撃情報では空に火の玉が現れ、約1時間持続し、それから細か く破裂したという。火の玉が隕石落下によるものか、他の現象なのか結論は出ていません。

これに関連すると思われる現象が ヨーロッパ各地出目撃されています。
イタリアのナポリでは夜北の空に、空気が燃えているかのような輝きが観察されました。午前3時にはそれはずっと明るくなり、西の方にまで広がり、その最大 高度は約65度でした。明るい光の境界はギザギザで、そして四散して西風になびいているかのようでした。午前4時頃にアーチ状の光が穏やかに上昇するのが みられ、6時頃には強い光はなくなり、7時30分頃には消失しました。

イタリア北部のパドゥアでは12月 16日の数日前から日没後に16日と同様な、注目すべき赤い光が西の空に現れました。同じ光は17日の夜にも現れまし た。16日夜は穏やかな天気だった、午後5時頃に北の空の地平線近くに黒味がかった領域が現れました。この領域の上では夜明けの光に似た非常に明るい光を 発して、最も高い所では赤く燃えるような色でした。それは地平線上で東へ55度、西へ70度にも及んだ。天頂近くでいくつか薄い明瞭な雲が現れました。午 前6時少し後に上部から多くの光線が放射し始め、その色は赤が白と薄暗い色と混ざり合っていました。数秒後、昼夜平分線の西に赤く非常に明るい帯が出現 し、すぐに虹の形に湾曲しました。8時には明るい帯は西8度から東50度までいっそう鮮やかでそしてはっきりしたバラ色になりました。正午には光はほとん ど消滅していましたが、20分後には30度西の60度の高度に白いやや明るい光線のようなものが見えたがすぐにはっきりしなくなり、30分経つと非常に弱 い光が西の地平線近くに残っているだけでした。

スコットランドの首都エジンバラで は16日午後6時に空に赤い炎のような光のアーチが現れていました。このアーチは西から天頂を通り東にまで達していました。この光は北の領域では少し青い 色に染まっていて、普通のオーロラのようではありませんでした。そして光は徐々に空の半球をゆっくりと覆って行きました。

イギリスのサセックス、シェフィー ルドでも夜空が赤くなる現象が見られました。

ロシア西部のソリカムスクでは17 日の夜に赤い光がいたるところで見られ、24日と25日にもその現象は小規模で繰り返されました。

ヨーロッパ各地で見られた赤い光の 夜は、ツングースカ異変の明るい夜を連想させます。この年の5月にベスビオ火山が噴火したという事で、12月16日にも噴火したという原因説もありますが 根拠はなさそうです。

*おもに 次の資料を参考にしました。
    The Tectonic Interpretation of The 1908 Tunguska Event  (Jun 28,2001)
         Andrei Yu.  Ol'khovatov

4.1930年8月13日、ブラジル
Brazil現地時刻8時頃ブラジ ルとペルーの国境近くのに森林に3個の大火球が落下しジャングルに火災が発生しました。このときの様子は落下地近くに福音伝道のため訪れたFedele d’Alviano神父によって記録されました。
Fedele神父の記録の一部はローマ法王庁の新聞L’Osservatore Romanoに掲載されましたが、その詳細はバチカンに封印されたままで す。
L’Osservatore Romanoによると、アマゾン河の大きな支流Yavari川の支流Curuca川の森林に3個の大火球が落下しました。お よその位置は5°S、71.5°Wで、事件の5日後Fedele d’Alviano神父がRio Curuca住民への福音伝道に訪れたときも人々は恐怖と驚愕で取り乱していたそうです。
Fedele神父はRio Curuca流域の多くの場所で何百名もの目撃者から聞き取り調査を行いました。
8月13日8時頃、突然太陽が血のように赤くなり、まるで暑い雲が日光を遮断したかのように闇が広がりました……しかし雲はありません。細かい灰が森林の 上や川の水の上に降り始めました。突然シューシューというような笛か砲弾のような音が天から鳴り響き、音は次 第に近づいてきました。人々は恐怖に家に逃げ込みましたが、何人かの漁夫は川の中にとどまり、天から大きい火の玉が雷のように落ちたのを見ました。雷の響 きに似た3つの衝撃と、3つのはっきりした爆発がありました。灰の小雨は2・3時間続き昼頃まで太陽はぼんやりとしていました。爆発は数百km彼方まで 聞こえたそうです。
この事件の爆発の聴取範囲が数百kmということからツングースカ爆発よりもかなり小さい規模だったということを示唆しています。また森林倒伏も現在まで認 め られていませんが、SPOT衛星やランドサットの写真からは現地には円形状の跡が3箇所有ることが見出されました。それは南北に一列に並んでいるそうで す。最も明瞭なものはやや楕円形で直径1.2kmでRaza等がこれが3つの爆発により作り出されたクレータであると考えました。しかし1997年の現地 調査では衝突クレーターであるということや、近くの岩石や植物に影響を与えた証拠を見つけることはできませんでした。
Guadalupe CorderoとArcadio Poveda は地震波や核兵器の爆発実験の放射エネルギーのデータなどを参考に、事件が石質隕石によるものと仮定して新たな説を発表しました。衛星による映像から見つ かった円形状の地形はCuruca事件とは関係ない。Curuca事件を引き起こした物体は直径約9mで、11.2km/secの速度で大気に突入し、 6kmの高度で爆発したというものです。
ツングースカ事件とCuruca事件は関与するエネルギーに3桁もの違いがあるが、大気中の爆発で、爆発高度も似ています。とはいえこれも様々な仮定の上 の計算で導かれたもので、更に詳しい現地調査が望まれます。

事件の起きた日がペルセウス流星群の極大日(ツングースカ異変は、おうしβ群の極大日)であることは興味深いことです。また最初の火球の徴候が太陽が煙 (灰?)により覆われ暗くなったということ、火球よりも先に灰が地面に達していたことなどツングースカ異変とは別の謎を持っています。Fedele神父の 報告書が公表されれば少しは謎を解くのに役立つでしょう。知り合いの神父さんに、なんとかなりませんか、と尋ねてみましたが、バチカンは絶対に出さない、 ということでした。
   

*おもに 次の資料を参考にしました。
   The Brazilian Twin of the Tunguska Meteorite : Myth or Reality
             N.Vasilyev & G.Andreev    WGN,the Journal of the IMO 17:6(1989)
        THE 1930 AUGSUST 13 'BRAZILIAN TUNGUSKA' EVENT
             Mark E.Bailey, Damian J.Markham, Sonia Massai  &  James E.Scriven       Observatory Vol.115 1995
        Curuca 1930: A probabie mini-Tunguska ?
            Guadalue Cordero &
Arcadio Poveda     Available online 28 Oct 2010

 
 5. 1935年12月11日、イギリス領ガイアナ
Guyana1935年12月11日21時(現地時刻) 頃、当時の英国領ガイアナで大きな爆発がありました。その場所は2°10′N、59°10′Wで、Marudi山の近くということです。
この事件を報告したBartol Resarch 財団のSerge A.Korffは報告書の中で森林荒廃の規模はツングースカよりも大きい
可能性を示唆しました。報告書の中で目撃者の例として、金 鉱の鉱夫Godfrey Davidsonの家の台所ではポットや鍋が振動で移動したそうです。そして鉱夫が空を見ると輝く光跡がありました。この鉱夫の家が爆発地からどのくらい 離れているのか判りませんが、火球の痕を見ていますから数10kmから 100km程度はあったのでしょうか。 Korff の報告書を読んだアメリカのWilliam H.Holden等は1937年にMarudi山に登り森林荒廃の様子を調査しました。Holdenは森林倒伏の原因として竜巻の可能性を否定できないと しながらも、猛烈なほえる音(隕石の落下時に伴なうことが多い電子音響と推測される)と、その後の激震、および明るい火球で昼間のように明るくなったとい う目撃者の話から、小さな小惑星の衝突ではないかと推定しました。
ローカル航空のパイロット Art Williams は上空から見ると、森林荒廃が32km以上でありその形は楕円形であると述べました。これは物体の落下時の衝撃波によるものと推定できます。
この事件の起きた日は、ふたご座流星群の極大日に近く、ツングースカ、ブルジルのミニ・ツングースカに似て
いますが、単なる偶然でしょうか。その後事件の調査が行われたのかは判りません。
   

 *おもに 次の資料を参考にしました。
   Two " Tunguska" in South America in the 1930's?
             Duncan Steel    WGN,the Journal of the IMO 23:6(1995)

6.1984年4月9日、三陸沖
午後11時9分、成田からアンカレッジに向かったJAL36便が三陸沖上空で、アンカレッジ管 制部へ「コース左側に明らかに人工的な丸い形の雲があるため、回避した」と報告しました。それは月光の中で突然発生し、灰色がかった透明で急速に広がって 丸い形で、キノコ雲にも似ていたそうです。
KLM868便からも東京対空通信局に同様の連絡があり。更にフライングタイガーの貨物機2機を含めた4機がアンカレッジに着陸後、アメリカ軍から放射能 の被爆検査を受けましたが、放射能の被爆の疑いは無かったということです。
キノコ雲という報告で初めは原子爆弾や原子力潜水艦の爆発が疑われましたが、航空機からは異常放射能は検出されず、火球や閃光は目撃されていなく、航空機 の計器に異常はありませんでした。自衛隊機が採取した上空のチリにも放射能の異常は認められなく、原爆実験という説は否定されました。
ハワイ大学地球物理研究所のグループの調査で、海底火山爆発も否定された。なぞの雲は未知の自然現象か人為的な大気中の核爆発以外の爆発のいずれかであろ うということになっています。
現場はソ連(当時)原子力潜水艦が常時パトロールしている水域であり、10日前後に同水域の北でミサイル実験をするとの情報があったそうですからこれに関 係しているのかも知れません…可能性は低いと思いますが。

 おもに 次の資料を参考にしました。
    毎日新聞 1984.04.10(夕)、1984.04.11(朝)、1985.02.25(朝)

 7.1993年5月28日、オーストラリア
Australiaオーストラリア の西半分の地震計は28日23時3分に、マグニュード3.6〜3.9の地震が起きたことを記録しました。震央は28°28′S、121°44′E の 1kmの深さでした。この場所は人口密度が非常に低い半砂漠地帯で、鉱山の町
Lavertonの約130km北西でBanjawarnの牧羊場の近くです。震央近くでキャンプ生活する探鉱者のグループは23時頃、大きなオレンジ色 の火球が短い尾を引いて南の地平線に落下してゆくのを目撃しました。衝突の瞬間は低い丘の後ろに隠れて見えませんでした。その場所はBanjawarn牧 羊場の北西に位置します。火球が地面に衝突したと思われる瞬間にフラッシュのような青白い光が放たれました。それは爆発震動波をともなって数秒間続きまし た。同時に円筒形またはフレア形のオレンジ色の光が数kmの高さににまで放射されました。
続いて地平線上の光がゆっくりと膨張し、オレンジ色の半透明状で半球形になり、大きさは日没時の太陽の2倍に見えました。この半球状の光は約2時間続きま した。最初の地震からおよそ1時間後の24時頃に、空に小さな青緑色の火球が現れ、Banjawarn牧羊場の上で弧を描き、最初の火球とほぼ同じコース をたどり落下しました。その後小さな地震が起きましたが、地震計では捕らえられませんでした。地震計のデータから爆発の規模はTNT火薬で1〜2kton に相当するそうです。軽飛行機からの捜索でも、SPOT衛星の映像によってもクレータは見つかっていません。

 
 *おもに 次の資料を参考にしました。
  THE BANJAWARN EVENT
    H.Mason    International Scientific Conference: Tunguska Phenomenon: 90Years of Investigations (1998)

 
8.1994年1月18日、 スペイン
Spain北 西部、ガリシア地方のサンチアゴ・デ・コンポステラで現地時刻午前7時15分ころ非常に明るい大きな火球が目撃されました。見かけ上の大きさはほとんど満 月のようでしたが、色は中心部は赤で外側に向かって黄色がかっていました。それは赤味がかったオレンジ色の短い尾を引いて、北北東から南南西に飛行した火 球は爆発することなく山の後ろに隠れました。姿を消す直前は緑色がかったようにも見えたそうです。
多くの目撃者報告から軌道や速度が求められましたが、その速度は1〜3km/秒という普通の流星に比べ一桁遅く、流星や隕石落下に伴なう火球ではなかった という結論になっています。
その後、火球の落下推定場所から1km以内の場所で新しいクレータが発見され、火球と関連があるのか問題になっています。クレータは緩やかな斜面にあり、 大きさは29×13mの楕円形で、深さ1.5mです。周囲にはクレータから飛び出した土砂や投げ出された松の木が倒れていました。しかし何かが衝突して出 来た証拠物質は発見されていません。クレータから500mの距離にあるCando地区の人々の多くはこのクレータが出来たのは1月の中旬と証言しています が、一部では前年の12月から2の間に出来たとしています。少数の人は地鳴りのような音を聞いたそうですがその日は誰も憶えていませんでした。また各地 の地震計は異常な震動は記録していませんでした。 

*おもに 次の資料を参考にしました。
      Investigation of a bright flying object over northwest Spain,1994 January 18
          J.A.Docobo, R.E.Spalding, Z.Ceplecha, F.Diaz-Fierros, V.Tamazian and Y.Onda
           Meteoritics & Planetary Science 33 (1998)


9.2001 年4月18日、ヨルダン
Jordan2001年4月、ヨル ダンの各新聞は18日19時頃(22時UT)、アンマーンの方向から飛んできた光り輝く物体がBayt Eidesと呼ばれる村で村民100人以上の目の前で落下したと報じまた。村はアンマーンの北54.4kmです。
JAS(Jordanian Astronomical Society)が4月24日に現地調査を行いました。Bayt Eides村長Mohammad Nawwaf Miqdadi も目撃者の一人で、JASに次のように話しました。
4月18日(水曜日)の午後7時頃、日没前だった(日没は7:10頃)100人以上の人が空を移動する明るい濃い黄色の物体を見た。その物体は西から東へ 移動し、それから2つに分裂し、近くの丘に落下した。その丘は我々が見ていた場所から1.5km離れている。2つの物体は地面に激突し、炎が上がった。初 め緑がかった色で、炎は5m以上の高さに達したように見えた。次の日 2つの破片が落下した場所へ行ってみた、と……。
JASのメンバーは村長の案内で最初の場所(A)に行ってみると、そこの地面は黒っぽい灰で覆われていました。そして幹から2つに折れた木があり、幹が半 分焼けた木もありました。
もう一方の場所(B)も黒っぽい灰で覆われていました。クレータ状の窪みがありましたが、それが物体の落下で出来たのかは判りませんでした。そこには半分 に割れた石が焦げていましたが、もう半分は普通の状態でした。JASのメンバーは隕石を見つけることは出来ませんでした。灰とそこの土壌を持ち帰り分析し ましたが、普通の
火災によるもので隕石との関連はないそうです。

  
 

Top に戻る