現 象新聞報道>記者も混乱していたようです

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                                                                                               sinn新聞報道                                        



ツ ングースカ事件の第一報はどんな形で報道されたのか判りませんが、新聞によることだけは確かでしょう。知られている新聞記事の中で最初は1908年6月 27日(旧暦の日付、新暦では7月10日)、つまり事件から10日後です。以下すべての日付は新聞記事のまま旧暦です。( )内の爆心地からの距離と方向は私が追記しました。

「シ ベリア生活」紙(Sibirskaya Zhizn)、1908年6月27日
『隕石の落下の 瞬間地面は強い揺れがあった。Lovat 村(623Km、南南西)では野戦砲に似た大きな爆発音が2回あった。』

 2 日後にはさらに詳しい内容の記事が載りました が、真実と想像の入り混じったものになっています。しかし、この記事はその後クーリックが読むことになり、ツングースカ異変の調査の歴史が始まりました。

「シ ベリア生活」紙(Sibirskaya Zhizn)、1908年6月29日
Alrianova が書いた「天からの訪問者」という次のような記事が載りました。
『1908年6月の中旬、トムスクの時刻で朝8時ころ鉄道の退避駅フィリモノウオの近く(635Km、南南西)、カンスクまで12kmの地点で大きな隕石 が落下した。その落下には驚くべきうなり音と、とても大きな衝撃音を伴っていた。伝えられるところでは、その音は直線距離で43km離れたところでも聞か れた。汽車が退避駅近くに来たときに隕石が落下したが、それは驚くべき異常なうなり音を発していた。機関士は列車を止めた。そして乗客は遠く離れた隕石の 落下場所へ殺到した。しかし、すぐに隕石を調査することはできなかった。それは灼熱状態だった。その後冷たくなってから退避駅にいた乗客や、旅行中の工学 者によって隕石の周囲が掘られた。隕石はほとんど土中に埋まっていたが、上の部分が地表から出ていて、それは白っぽい色をしていた。伝えられるところでは 大きさは6立方サージェン(6×2.134m3)だった。』 

イ ルクーツクの新聞はかなり正確に次のように報道しました。

「シ ベリア」紙(Sivir)、1908年7月2日
『6 月17日午前9時前になんとも異常な現象が見られた。N− Karelinskom村(390km、東南東)では非常に不可解で(それがなんだか判らない)青白く輝く物体が天頂から北西方向に10分かかって移動し 地平線に消えるのを農民が目撃した。形状はパイプすなわち円筒状だった。空にはほとんど雲がなく、暑く乾いてお り、地平線上に小さな暗 い雲があった。輝く物体は地平線の森に接近し、その場所から黒い非常に大きな煙が発生した。
非常に大きな音(雷鳴ではない)が聞こえ、それは大きな石が落下したような、あるいは大砲の射撃音のようであった。すべての建物は震え、火災が発生した。 すべての村民はパニック状態になり、恐れおののいて通りに逃げ出した。女子供は泣き叫び、世界の終わりが近づいたのだと思った。

Pishuschiがキレンスクの 北6kmの森の中にいたと き、北から大砲の射撃音のような音が聞こえ、続いて北西の方向から15分間にわずかな間隔で(10回より少ない)繰り返された。
キレンスク(490km、南東)の若干の家では北西方向に向いた窓ガラスが振動でガタガタ音をたてた。 キ レンスクでは何人かが 北西の空に赤い火球を目撃した。目撃報告によればそれは水平に動いていた。
また別の目撃者は非常に急角度で動いていたと報告した。
Chechuiska の近くで農民Ekhavshiは農地で北西の空に火球を目撃した。キレンスクに近いVoronino村で農民は南東に落ちる火球を見た。(つまり
N− Karelinskom村の 農民とは反対方向に見た)キレンスクとN −Karelinskom村の 間は昼間普通の雷雨があり豪雨 と雹が降った。』 

「シ ベリア・ジーズニ」紙はトムスクの新聞ですが、もうひとつのトムスクの新聞「ゴロス・トムスカ」紙は「シベリア・ジーズニ」紙の記事を転載し、さらにカン スクに特派員を派遣し次のような記事を載せました。

「ト ムスクの声」紙(Golos  Tomska)、1908年7月4日
『カンスクで大 きなうなり音が聞こえ、隕石が落下したというが、その詳細のすべては人々の空想による隕石の落下というイメージが生んだものだ。隕石が落下しているとして も遠くはなれた場所であろう。』

 「ク ラスノヤルツ」紙 (Krasnoyarets)、1908年7月13日
『ケジマ (214km、南南西)では17日にこの周辺の地域で異常な大気現象があった。午前7時43分、強い風のような衝撃音が聞こえた。それはすぐそばで発した ような恐ろしい音だった。建物が震動した。この震動は大きい丸太、あるいは重い石が高いところから落下したような感じだった。その後2番目と3番目の衝撃 音が最初の衝撃音の後に続いた。最初と3番目の衝撃の間には珍しい地下からのうなり音があった。それは鉄道から聞こえる音に類似して、同時に多数の汽車が 通ったときのようであった。
それから5〜6分の間ちょうど大砲の射撃音のような音が聞こえた。短い間隔で衝撃音が50〜60回聞こえ、次第に弱くなった。しかしまだ地面が震動してい るのがはっきりと感じられた。空は快晴で、風も雲もどちらもなかった。注意深い観察者は北から衝撃音が聞こえたように感じた。続いて地平線上にはっきりと した灰色の雲に似たものに気づいた。それは次第に消えていったが、完全に消えるのに2〜3時間かかった。
得られた情報によると約320km離れたAngary村では震動で両開 きの窓ガラスが壊れた。Naskolikoでは第一撃が強く、人々や馬が倒れた。目撃者達が語ったように、最初の爆発音(衝撃音)が鳴り響き始めた直前、 なにやら燃えているような天体が北東へ向かう傾向を持って南から北へ天空を横切ったが、飛行の速さ(また重要なことは意外性)のため、その大きさも形状も 見取れなかった。だがその代わり異なった村落で多くの人々が地平線の方に飛行していた物体の接触した場所であとから前記の独特な雲が気付かれたが、遥かに 低く最後の位置の森林の梢の高さで天を二分する巨大な焔が燃え上がったような有様が非常によく見えた。輝きは北に向いた窓の室内に反映したほど強く、郷幹 事会の守衛達も観察した。農家の畑にいた多くの者がこれを認めたので、輝きは数分間以上続いたようである。焔が消えると直ちに衝撃音が鳴り響いた。
異常な現象が起こった自然界で、空気中に何か不気味な静けさが感じられた。村に向かって位置する草原の木立では至る所で馬や牛が悲鳴をあげて走り始めた。 今にも大地が裂けて万物が深淵に落ち込むような印象が得られた。何処からともなく空気を震わせる恐ろしい衝撃音が鳴り響き、出所の見えないものがなにやら 迷信的な恐怖を起こさせた。文字通り恐怖が捉えた…』 

「ト ムスクの声」紙(Golos  Tomska)、1908年7月15日
『エニセイ郡の カンスク(635km、南西)では6月17日午前9時に地震があった。震動でドアや窓が揺れ、イコンは
宙ぶらりんとなって灯明は倒れた。遠くで発射された大砲のような音が聞こえた。5〜7分の後2番目の衝撃音があり、最初のより強く同じ音を伴っていた。そ の後も衝撃音はあったが最初のものや2番目のものより弱かった。
そ の後、Dalaya村の近くに石質隕 石が落下したとの噂が広がった。おそらく多くの人によって見られた火球とはそれが飛んだのを見たのであって、この石質隕石が落下して松林を破壊した と……』

「シ ベリア生活」紙(Sibirskaya Zhizn)、1908年8月14日
エ ニセイ県北のGavrilovskと ZolotoyBugorok両鉱山で「皆は雷のように激しい鈍い響きを伴う地面の振動を感じ、その後更に2回続いたが、より弱い衝撃であって、その後少 なくとも10回は更に弱いものであった。鉱山の建物がガタガタキーキー音を発したので、人々は恐怖のため外に飛び出した。作業中だった労働者達は金鉱洗浄 機が振るえ、地面から塵が舞い上がる有様に気付いてパニックと作業からの逃走を惹起した

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