現 象>気象現象への影響>爆発により多量の塵が気象に影響を与えたと考えられています

Home    現象   名所案内  人名リスト  書籍   珍 説奇説  類似現象  隕石亭雉子星   流星音

  気象現象への影響                                              



1.大気中の塵
1908年夏の大気の異常現象の最初の分析は、その年にサンクト・ペテルブルグの中央物理研究所の責任者  Alexander Schoenrock により行われました。(*1)
当然のことながら、ツングースカ地方と離れたところにいた彼はツングースカ事件のことは知らず、1883年のクラカトア火山の噴火の後で異常に明るい薄明が数ヶ月持続したことから、同じような現象が起きたのではないかと推測しました。

ツングースカ爆発が起きたときアメリカのアボット(C.G.Abbot)は、カリフォルニア州のウィルソン山観測所で日射エネルギーの観測をして いました。その観測データは1908年7月から8月にかけての大気の透明度が激減していることを示していました。

1949年に天文学者 の Zasily Fesenkov  はアメリカのウィルソン山観測所で記録されたこの期間のデータを処理しました。この結果1905〜1911年の間で、1908年に前例がないほどの大気の 透明度の減少が起きたことが分かりました。まるで巨大な埃っぽい雲が7月下旬から8月上旬にカリフォルニア州上空を移動しているように見えると記しまし た。(*2)Fesenkov  はそれがツングース物体から分散した物質であろうと考えましたが、事実は複雑でした。
1980年代にロシアの地球物理学者で惑星学者の Kirill Kondratyev  等はウィルソン山観測所のデータを再検討し、ツングースカ事件の前、1908年6月4日に大きな埃っぽい雲がウィルソン山を通過していたことを確認しまし た。この大量の塵は8月4日、10月4日にもウィルソン山上に現れたのです。その後徐々に分散していきました。科学者達は塵の消散率と大気中の運動から、 1908年5月に千島列島からそう遠くない太平洋上で大きな隕石(質量100,000トン)から形成されたと計算しました。その隕石の軌道傾度は小さく、 そのため大気中で分解し雲状の隕石の塵を残して完全に燃焼したように考えました。これはツングースカ物体とは関係ないと考えられています。

しかしウィルソン山観 測所のデータには1908年7月14日に異常な物質を含む気団がカリフォルニア州上空に現れたのを示していました。この日付は大気中の物質が中央シベリア からカリフォルニア州に移動する時間に一致するので、この物質はツングースカ爆発により生じたものでしょう。この物質のスペクトルも得られていて、Kondratyev  により解析され隕石の塵とは一致しなく、超微小粒子のようでした。

*1   The twilight of June 17(30),1908
        Schoenrock,A.M   Meteorologichesky Bulletin Nikolayevskoy Glavnoy Geofizicheskoy Observatiorr,1908
*2   Turbidity of the atmosphere produced byathe fall of the Tunguska meteorite of June 30,1908
        Fesenkov,V.G   Meteoritika,Vol.6,1949

2.気温の低下 
アメリカのターコ(R.P.Turco)等はアボットのデータを再検討し大気の混濁を再確認するとともに、それによる日射エネルギーの減少から気温の低下 の可能性を示しました。

1892年の平均気温を基準と する、北半球(実線、北緯0°から80°までの平均気温)、
南半球(破線、南緯0°から60°までの平均気温)、北半球と南半球の気温差(1点鎖線)。

ターコ等は論文で上図のグラフをし めすとともに、北半球の平均気温が0.2°から0.3℃低下した可能性を指摘しています。(*1) しかし、気温の低下は大規模な火山の噴火による大気の 混濁でも起きることです。前項の通り1908年5月の大隕石の可能性があり、1907年にはShtyubelya Sopka(52°N)、1912年にはKatmai(58°N)の大噴火が起きていますのでこれらの影響もあるでしょう。大気の混濁のほかにターコ等は 成層圏のオゾン層が破壊されたことによる気温低下の可能性も指摘しています。(*2) ツングースカ物体が高速で大気圏に突入した結果高温になった大気か ら窒素酸化物が生成されオゾン層が破壊されたということをアボットのデータと、光化学のシミュレーションで確認しました。破壊されたオゾンは北半球の平均 で35〜45%で、その結果成層圏の温度は1〜2K低下したと考えられています。
日本の気温は低下したでしょうか、気象庁のデータでは低下傾向は表れていません。しかし日本の年平均地上気温平年差(1961〜90年の平均からの差)は 1904年頃から1908年にかけて低下し、それから上昇傾向になっています。日射エネルギー減少と気温低下の時間遅れを考慮するとツングースカ異変によ る日本の気温低下は事実上観測されなかったといえるでしょう。
*1 An Analysis of Physical,Chemical,Optical,and Historical Impacts of the 1908 Tunguska Meteor Fall
      R.P.Turco  O.B.Toon  C.Park  R.C.Whitten  J.B.Pollack  & P.Noerdlinger         ICARUS 50 (1982)
*2 Tunguska Meteor Fall of 1908 : Effects on Stratospheric Ozone
      R.P.Turco  O.B.Toon  C.Park  R.C.Whitten  J.B.Pollack  & P.Noerdlinger      SCIENCE, Vol.214 .2 (1981)
 
3.降水量の増加
ボーウェン(E.G.Bowen)は世界各地の1871年から1952年の気象データを分析し、毎年流星雨の出現後世界的に降水量が増加することを明らか にしました。(*3) 降水の過程では大気中に浮遊している微粒子を凝結核として雲粒や氷粒ができ、それらから雨粒や雪片ができます。しかし相対湿度が 100%を越えても、ちりやほこりなどを含まない清浄な空気中では水の表面張力が邪魔をしてなかなか水滴は出来ません。流星の燃えカスというべきダストも 凝結核になり、流星数の増加は水滴ができ易くなるというわけです。
 ツングースカ異変の爆発は高層大気中に数百万トンとの説もあるくらい大量のダストを供給しましたので、異変後降水量が増加した可能性がありま す。ファスト等(N.P.Fast & V.G.Fast)は1907年と1909年の降水量と1908年の降水量を比較して、ツングースカ異変の2〜3週間後おもにヨーロッパで降水量が増加し たことを認めています*4)。凝結核として有効な粒子は半径が大きく吸湿性、溶解性の大きいほどよく、これはツングースカ物体が石質の可能性につながるというのは早計でしょうか。
またB.A.Yakovlev は雷雨の増加を指摘しているそうです。(*3) 

*3 THE RELATION BETWEEN RAINFALL AND METEOR SHOWERS
       Bowen.E.G   Journal of Meteorology Vol.13 (1956)
*4  The Tunguska Meteorite Problem today
      Vasilyev.N.V   Planet. Space Sci., Vol.46 (1998)

Top に戻る