現 象>樹幹円盤中の放射能

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  樹幹円板中の放射能                                              


 


KSE の創設の一人で初代の代表プレハノフ(Gennady Plekhanov) は、トムスク医学研究所のベータトロン研究室で医師と技師として働いていました。1958年のKSE結成前に、なぜ誰もツングースカで放射能の測定をしな いのか不思議に思いました。1908年に核爆発が起きていたなら事件の現場には通常より高いレベルの放射能がまだあると考えました。学者・報道関係者・作 家達は新聞や雑誌で論争していましたが誰も現場で調べようとしなかったのです。放射能を測定する専門家のプレハノフはこの問題を最終的に解決するためツン グースカへ行くことを決め、友人を誘いました。これらがきっかけで、プレハノフが32歳のときにKSEが結成されました。1959年にKSEの第1回の遠 征が行われ、ツングースカ大災害地域の中心部の放射能強度は周囲よりも約2倍高く、中心から外側へ向かって減衰していました。しかし、プレハノフは放射能 を研究室で測定することには慣れていたものの野外で放射性降下物の測定は経験なく、彼の同僚も同じで、その測定結果には疑問視されました。

翌1960 年にKSE-2の遠征が行われました。KSE-1との大きな違いは多くの専門家の参加で、それぞれの研究目的が専門家に割り当てられました。放射能はモス クワの地球物理学者 Lena Kiriehenko の指揮で行われました。そして調査結果は何年もソ連の核実験場 Semipalatinsk と Novaya Aemlyaで働いていた科学者により調べられました。その結果は、放射能の強度が通常以上に高かったことを確認しましたが、背景の放射能変動を僅かに越 えるくらいでした。
プレハノフはKSE-2の報告書の中でツングースカ爆発の中心地での放射能増加は最近の核実験による放射性降下物によるものと説明しました。その後も測定は繰り返されましたが、この結論は確認できないままでした。

ゾ トロフ( Alexey Zolotov ) は樹幹円板の年輪の層と層の放射能を測定剃る方法を開発し、ツングースカ地域の1000本を越える樹幹円板のサンプルを調査しました。結果1908年以前 に放射性核種の痕跡は無く、1908年直後と1945年以降に小さいけれど明らかなピークが年輪に存在していました。ゾトロフによれば、それは半減周期が 27年のセシウム137が発生したといいます。1945年以降のものは明らかにアメリカとソ連の大気中核実験が原因でしょうが、最初のピークはツングース カ爆発によるものでしょうか。
可能性の一つは、核実験からの死の灰が生きている木に浸透して、ツングースカ爆発によって損傷した1908年の年輪の周辺に蓄積されたものでしょう。しか し、1908年の放射性のピークは生きている木だけではなく、大気中の核実験からの汚染が不可能な1945年前に枯れた木にも発見されました。(*1)

こ の研究はロシアの放射化学者の父と呼ばれるアカデミー会員 Boris Kurchatov と同僚の Valadimir Mekhedov により引き継がれました。彼らは樹幹円板中の1908年の放射能ピークはツングースカ爆発の結果だと結論しました。(*2)
しかし2人は若くして亡くなり、ロシア におけるこの筋の研究は途絶えてしまいました。

1965 年アメリカのノーベル賞受賞者で放射性炭素年代測定の発明者として有名な Willard Libby は、アメリカの隕石研究の開拓者Lincoln La Paz のツングースカ物体の反物質仮説を証明しようとしました。反物質が大気中で消滅したなら強力な中性子線を生み出し、次にはかなりの量のC14を 発生させるのだそうです。この放射性炭素は空気の流れによって北半球全体に分散され、消滅した反物質のエネルギーがTNT25Mt規模であるなら大気中の 放射性炭素の総計は7%増加するとのことです。そしてLibby はアメリカの2本の木、アリゾナ州とカリフォルニア州の1908年と1909年の年輪で放射性炭素が増加しているのを発見しました。何人かの有名な科学者 が追試を行ないそれを確認しました。
しかし1909年には大気中の放射性炭素を増加させる他の要因がありました。11年周期の太陽活動の最低期間には通常大気中の放射性炭素は増加します。その最低期が1909年に当たるため、 Libby 等が発見したものを太陽活動の変動で説明する科学者も多いのです。

1992年の国際ツングースカ調査に参加して爆心地から約3kmのゴダイトウヒの樹幹円板を持ち帰り、名古屋大学農学部の竹中千里氏から分析してもらいました。1908〜1910年の年輪の炭素同位体については、C14の濃度は1.7±3.5%でほぼ天然のレベルということです。(*3)

Cowan らも北米産のベイマツをもちいて年輪中のC14 濃度を測定しているが、この期間中の濃度は-0.96〜0.26%であり、両者の差は無いといえるでしょう。この結果からはツングースカ爆発が核爆発を伴っていないということになります。(*4)


*1   On the Radioactivity of the Ash of Trees in the Region of the Tunguska Catastrophe  
           Mekhedov,V.N   Joint Institute for Nuclear Research,1967
*2   The Energy of the Podkamennaya Tunguska,Siberia, Meteoritic Fall  
           La Paz,L   Popular Astronomy,1948,Vol.56
*3  ツングースカイベントと樹木

        竹中千里、米延仁志 天界,1994.02
*4   Possible ant-matter content of the Tunguska meteor of 1908
            Cowan C.,C.R.Alturi, and W.F.Libby  Nature,206,1965


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