樹幹円板中の放射能 |
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翌1960
年にKSE-2の遠征が行われました。KSE-1との大きな違いは多くの専門家の参加で、それぞれの研究目的が専門家に割り当てられました。放射能はモス
クワの地球物理学者 Lena Kiriehenko の指揮で行われました。そして調査結果は何年もソ連の核実験場 Semipalatinsk と
Novaya
Aemlyaで働いていた科学者により調べられました。その結果は、放射能の強度が通常以上に高かったことを確認しましたが、背景の放射能変動を僅かに越
えるくらいでした。 ゾ
トロフ( Alexey Zolotov )
は樹幹円板の年輪の層と層の放射能を測定剃る方法を開発し、ツングースカ地域の1000本を越える樹幹円板のサンプルを調査しました。結果1908年以前
に放射性核種の痕跡は無く、1908年直後と1945年以降に小さいけれど明らかなピークが年輪に存在していました。ゾトロフによれば、それは半減周期が
27年のセシウム137が発生したといいます。1945年以降のものは明らかにアメリカとソ連の大気中核実験が原因でしょうが、最初のピークはツングース
カ爆発によるものでしょうか。 こ
の研究はロシアの放射化学者の父と呼ばれるアカデミー会員 Boris Kurchatov と同僚の Valadimir Mekhedov
により引き継がれました。彼らは樹幹円板中の1908年の放射能ピークはツングースカ爆発の結果だと結論しました。(*2) 1965
年アメリカのノーベル賞受賞者で放射性炭素年代測定の発明者として有名な Willard Libby は、アメリカの隕石研究の開拓者Lincoln
La Paz のツングースカ物体の反物質仮説を証明しようとしました。反物質が大気中で消滅したなら強力な中性子線を生み出し、次にはかなりの量のC14を
発生させるのだそうです。この放射性炭素は空気の流れによって北半球全体に分散され、消滅した反物質のエネルギーがTNT25Mt規模であるなら大気中の
放射性炭素の総計は7%増加するとのことです。そしてLibby
はアメリカの2本の木、アリゾナ州とカリフォルニア州の1908年と1909年の年輪で放射性炭素が増加しているのを発見しました。何人かの有名な科学者
が追試を行ないそれを確認しました。 1992年の国際ツングースカ調査に参加して爆心地から約3kmのゴダイトウヒの樹幹円板を持ち帰り、名古屋大学農学部の竹中千里氏から分析してもらいました。1908〜1910年の年輪の炭素同位体については、C14の濃度は1.7±3.5%でほぼ天然のレベルということです。(*3) Cowan らも北米産のベイマツをもちいて年輪中のC14 濃度を測定しているが、この期間中の濃度は-0.96〜0.26%であり、両者の差は無いといえるでしょう。この結果からはツングースカ爆発が核爆発を伴っていないということになります。(*4) *1 On the Radioactivity of the Ash of Trees in the Region of the Tunguska Catastrophe Copyright (C) 2002-2011 Kamimura,All right reserved. |