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  ツングースカの幽霊                                            



ロシアのツングースカの研究者の間では追い払っても、追い払っても、ツングースカ異変地域に幽霊が戻ってくると、半分冗談で言われ続けてきました。その幽霊とは「放射能」と「レアアース」のことです。

カ ザンツェフと並ぶツングースカ物体・宇宙船説の提唱者ゾロトフ (Alexey Zolotov) は「地球物理学異常研究所」と呼ばれる研究所で3人の仲間とともにツングースカ現象の研究もしていました。ゾロトフはもちろんツングースカ爆発は核動力の 宇宙船が爆発したという意見でした。その中の一人 Vladimir Rubtsov は科学技術専門学校を卒業したばかりで、研究所では集められたデータをコンピュータ処理していました。

Rubtsov はKSE の代表者のヴァシリエフ (Nikolay Vasilyev) とツングースカ調査の方向についての話し合いをした時にヴァシリエフが「ツングースカ調査の歴史で奇妙な傾向が存在した。放射能の痕跡を発見しようとする 試みが一度ならずと様々な方法で行われた。しかし、毎回この問題の肯定的な反応が現れると、すぐに作業は中断させられた。また研究者達は完全な肯定的な結 果を "偶然の汚染"、あるいは資金の欠如で同様に作業を中止し、更なる調査を妨げた。ある場合には研究者は急死した」と言ったそうです。
しかし、付け加えて「我々は何も疑わしいものは発見することができず、陰謀を空想する理由もないことを強調する。単なる偶然の一致だが、しかし、悲しい……」と。長年ツングースカの謎に取り組んできた免疫学の教授、ヴァシリエフ博士の無念の言葉です。

こ の急死した研究者の一人が Sergey Dozmorov 博士のことで、彼はロシアの主要なレアアースの専門家でした。ヴァシリエフは彼にツングースカ物体の飛行経路の領域で集められた土壌のサンプルから−特に 終端でのレアアースの詳細な分析をするように説得しました。そこでは1966年にDmitry Demin 等によってイッテルビウムの異常が発見されていたのです。
彼はシベリアのオムスク化学研究所で作業を行い、John Anfinogenov が爆心地とした Ostraya 山近くで採取された土壌の幾つかのサンプルは領域中の平均濃度を非常に超えているのを確かめました。イッテルビウムは800倍、ユーロピウムとツリウムは 数百倍、ランタンとセリウムは比較的低く4倍でした。しかも他のランタニド(原子番号57から71の元素)は"負の異常"を示し、地球の地殻の平均濃度よ りも低い値でした。しかし、もっとも意外なのはレアアース濃度の増加や低下ではなく、自然界では決して起こらない相対的割合の激しい変化でした。これは地 球と月の岩石双方の共通規則で、隕石も同様です。もし Dozmorov のもたらした結果が間違っていなかったとしたら Ostraya 山付近の土壌は選択されたレアアースで濃度が増加したと結論できます。Dozmorov は慎重な科学者だったので結果を公表するのに気乗りしませんでした。彼はデータのより綿密な分析を強く主張して、追加のサンプルを収集することを提案し、 ヴァシリエフは新たなプロジェクトを準備することにしました。

し かし、突然に Dozmorov の悲劇的な死の報告がもたらされたのです。彼は夜の自分の研究室で毒性の化合物で自分を毒殺した、と警察は発表し、それが単なる事故と結論しました。36 歳という若さでした。新しいプロジェクトの一員 Natalia Lebedeva は緊急にオムスク化学研究所に行ったところ、Dozmorov が分析に使ったサンプルは「その公定計画にもとづいて研究室で研究された対象とは無関係」として、死後直後破棄されたことを発見しました。これも誰にも責 任はなく、単なる偶然なのでしょうが、ツングースカにおけるレアアースの異常な割合の研究は一時停止しました。


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