1908年6月30日から7月1日にかけてヨーロッパの夜は明るく
白夜のようだったそうです。翌日からはこの現象は弱まってゆきましたが2カ月以上も見られた場所もありました。明るい夜は次の3つを含んでいます。
1.
薄明の延長
2.夜光雲の
異常発生
3.大気光の強化
この現象は中央シベリアからヨーロッパの各地で観測されましたが、東シベリア、地中海周辺、アメリカ、日本では記録がないようです。ツングースカ地方でも大気の異常は発生せず、通常の夏でした。 こ
の異常現象の最初の分析は1908年、サンクト・ペテルブルグの中央物理研究所の責任者Alexander
Schoenrockによって行われました。(*1) 彼が分析したデータによれば夜光は地平線の1/4を覆い、ほとんどの場合それは大きな炎のような輝
きでオレンジまたは赤で、時折緑がかった均等な白色でした。Schoenrockはツングースカ事件に気付いていなく、彼にとってはただ奇妙な現象でした。 ゾートキン
(I.T.Zotkin)は観測資料を整理し、西欧では薄明と夜光雲が現象の中心で東欧では大気光の強化が目立っていることを明らかにしました。(*2)
1908年6〜7月の「明るい夜」の目撃地点数のグラフがヴァシリエフ(N.V.Vasilyev)(*3)の論文に載っています。(下図)

T(実線):明るい夜の全現象
U(破線):夜光雲
ヨー
ロッパとロシアの各地で異常な光で照らされた建物の多くの写真が撮影され、ロシアの天文学者Vitaly
Bronshtenはこれらの写真を分析することにより明るさを見積もりました。彼の光度測定法によれば明るさは通常の空の約100倍でした。1991年
Vitaly Romeykoは別の方法で明るさの見積もりをして、異常な光輝の明るさは7月1日夜で通常の夜間の800倍を越えるとしました。(*4) そしてもっとも明るい場所はシベリアから離れた場所で記録されました。 これらの現象の原因は大気中に膨大な量の塵や水が注入されたという説が有力で、これは小惑星(隕石)の落下ではなく彗星説に有利となるでしょう。
1.薄明の延長
薄明(twilight)は日没後と日の出前に、大気中の塵やエーロゾルに太陽光があたって散乱することで空が薄明るい状態のことをいいます。
ツングースカ異変の「明るい夜」が見られたほとんどの地域で通常よりも長時間薄明現象が起きています。6月30日は色鮮やかな夕焼けが日没後いつまでも続
き、赤い色の部分が次第に低くなりながら地平線に沿って北へ移動し、夜半には真北でいちばん低く、それから東へ移るとともに高度を上げそのまま夜明けとな
りました。このときの明るさは、新聞が外で照明なしに読めたというくらいであったといいます。この現象は7月3日頃まで顕著であったようなのですが、それ
からはほとんど目立たなくなったようです。しかし、コーカサス山脈の北、カルムイク自治共和国のスタブロポリ(45°N、42°E)では10日以上朝焼
け・夕焼けが1時間以上も長続きし、元に戻ったのは8月の末だそうです。
薄明現象の延長はその原因の大気中の塵が増加したと考えられ、ツングースカ物体がその供給源なのでしょうが、数日〜1ヶ月以上も高層大気中に停滞できると
は思えません。塵が衛星軌道に乗ったと、主張している研究者もいるそうですが、やはり謎のままです。
2.
夜光雲
の異常発生
夜光雲(noctilucent clouds) は夏の中・高緯度地方の、上空75〜90kmの高度にあらわれる巻雲に似た雲です。
この高度は大気の温度が極小(約180K)の中間圏界面付近で、気圧の低いところで雲が存在できるのはこの低い気温のせいなのでしょう。
見え方は日没後、薄明が終わるころから見え始め、始め灰色であるが次第に輝きを増し、夜半前にはいぶし銀のような色彩になり、夜半過ぎにはこれと逆の色彩
変化をたどるといいます。夜光雲の生成には不明な点が多いのですが、流星塵や微細な火山灰を核とする氷晶雲と推定されています。
6月30日から7月2日にかけて夜光雲が、異常薄明が見られた各地で目撃されています。ドイツのMax
Walfは、「日没後の空が異常な高度の小さな雲で覆われていて、それは巻雲と似ていたが通常の巻雲よりもはるかに高高度だった。それらはむしろ日没後の
空の煙の層のように見えた」と記述しました。 これもツングースカ物体の爆発による塵が核となって発生したと考え
られています。
3.
大気光
の強化
大気光(airglow)は主として高緯度地方に見られる超高層大気中で発生する発光現象です。酸素原子やナトリウム原子、窒素分子などが太陽紫外線の作
用でエネルギーの高い状態になり、元の状態に戻るときにエネルギーが放射され発光します。大気光スペクトルの主なものは酸素原子による緑線(5577Å)
と赤線(6300・6364Å)です。そのほかにナトリウムによる橙色線(5890・5896Å)、OH基による赤〜赤外の発光もあります。
最近ではロケットにより観測され、主な発光高度は約100km(熱圏下部)ですが、ナトリウムやOHの線は部分的には中間圏(約80km)で発光してお
り、酸素原子の赤線は少なくとも150km以上で発光しているそうです。
ツングースカ異変に関連しては、ゾートキンによると東欧で空全体が緑〜青味がかった発光現象が目立っていると結論しています。ツングースカ物体が彗星だっ
たとすれば、高層に大量の水分を持ち込むことになるのでOH基の発光が強化されることになりますが、他の物質も入り込むでしょうから別の光化学反応があっ
たのかもしれません。
1908
年7月4日(土)の英国の新聞、The
Timesは「最近の夜光現象」として下記の記事を載せています。この記事の筆者は発光現象のほか、火曜日(6月30日)に激しい磁気嵐があったというこ
とに注目しているのですが、ツングースカ異変による磁気嵐は最大で約6時間続いたという記録しかありません。30日夜まで続
いたとは考えにくいので、この部分の真相は判りません。
<1908年7月4日のThe
Timesの記事>
最近多くの夜に見られた注目すべき赤味を帯びた輝きは、多くの注意をひきつけてベルリンまでの一帯で見られた。それらの性質に関しての意見はかなりの違
いがある。ひとつの見解として、それがオーロラに似ていると考えられ、その色も似ている。そして、Fowler教授がサウス・ケンジントンでの太陽プロミ
ネンス観測でオーロラの発生を予測していたという事実がある。激しいプロミネンスは水曜日の英国天文協会の会合でNewbegin氏によって、その朝にも
発生していたと述べられている。はっきりと記録された、火曜日夜の激しい磁気嵐は発光現象のオーロラ説を強化した。2つの現象は非常に密接な関係がある。
しかしながらその次の夜も強い輝きが見られたが、磁気嵐はなく静かであった。これは、その現象が単に異常な薄明現象であったという、オーロラ説によって退
けられた説を正当化した。この輝きの中心はほとんど太陽の垂直位置であり、太陽の動きとともに北西から北東へ移動したことがほぼ全ての観測者が同意するこ
とにより、この輝きが薄明現象であったことの裏付けになる。更に輝きが常に地平線に近かったということである。オーロラは空のあらゆる部分において見られ
るだろう。
太陽が地平線より18°より下にならない限り薄明があることはよく知られたことだ。つまりロンドンにおいては太陽高度が赤道の北側で20.5°以上のと
き、もしくは5月23日から7月21日までは真の夜はない。大気のある一時的条件により、いつもより薄明がはるかに明るく赤くしたと考えたほうが適切だろ
う。我々はこのすばらしい輝きを見て1883年秋にこの国で見られた状況を思い出すかもしれない。それは8月の終わりのクラカトア火山の恐ろしい爆発に
よって、塵を上層大気へ拡散させた。その輝きは最近のものと多くの共通点を持っている。
(1).遠くの大災害を暗示するような深くて赤々と輝く色(火曜日の夜の輝きはこの原因によるものか暫くの間解らなかった)
(2).二つのの輝きは日没後、通常の薄明よりもはるかに長い時間見られた。そして異常な輝きが始まる前に通常の夕焼けはすでに薄れていた。これは輝き
を引き起こす塵の非常な細かさと並外れた高さを示した。
1883年の輝きが最初に見られた場所、日時を図表にすることにより、未知の流れによって毎時80マイルの速度で塵が西方に運ばれたことが解った。しかし
塵が緯度方向に広がって地球を3周するまで英国諸島に達しなかった。我々はこれが非常に遠い宇宙の現象ではないと理解する。最近、異常な火山の爆発は報告
されていない。しかし、春の間に太平洋で小さな爆発があり、そしてこれから、もしくは世界のほとんど知られていない地域で起きた爆発によりその塵が我々の
ところに達したのかもしれない。
*1 The twilight of June 17(30), 1908 Meteorologichesky Bulletin Nikolayevskoy Glavnoy Geofizicheskoy Observatiorii,1908 *2 Аномалъные
сумерки,связанные с Тунгусским метеоритом
И.Т.Эоткин Метеоритика 1969
*3 The Tunguska Meteorite
problem today
N.V.Vasilyev Planet.Space Sci., Vol.46 No.2/3 (1998)
*4 On the nature of the optical anomalies of the summer of 1908
Astronomichesky Vestnik, 1991, Vol.25,No.4
|