2004年10月23日午後5時56分、新潟県中越地震は私の住む町で震度7を記録した。
倒壊した多くの家のひとつが元我が家だった。私は住んだことがないのだが、子供のころ入ったような記憶がある。その家は普通の家ではなく自宅を兼ねた劇場として建てられたもので最初は「オリオン座」という劇場名だった。私の祖父が大正時代の半ば何を思ったのか多額の借金をし
て建てたものだそうだ。今の金額にして数億円というところか?周囲の無謀なことを、という危惧に反して娯楽
の乏しい田舎で映画や芝居、浪曲といった演芸は歓迎された。越後川口駅は上越線と飯山線の分岐点であるので東京の芸人が長野方面で興行した帰りについでに
興行することも多く安い出演料で引き受けてくれたという。そんなわけで借金も順調に返却したのだが、そのころには第二次世界大戦末期で敗戦濃厚となり「オ
リオン座」は「川口座」と改称していた、しかも悪いことに劇場は軍事工場として買い上げられてしまった。戦争さえなければ私は劇場の三代目という事になっ
ていた筈なのだ。(そうなっていても私の代でたぶんすぐ潰れただろうと思うが) 23日から24日に変わってからやっと自宅の近くまでたどり着いた。暗い町の中「川口座」は倒壊していた。月明かりに照らされ、破壊された材木の影はいっ
そう濃く、家の気配はなかった。

地震から1ヶ月、倒壊した多くの家
が取り壊された。まだ嘗ての「オリオン座」改め「川口座」は今も冷気の中にその無残な姿を曝している。またひとつ、私の歴史の証人が消えようとしている。
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