1992年の第3回国際ツングースカ調査の折にお世話になった Gennadij
Andreev氏が亡くなった。享年53歳。元日に届いたロシアの友人からのメールで知ったのだが、死亡したのは昨年(2002年)の9月らしい。死因は
心臓発作ということだが、これも詳しいことは判らない。
彼はロシア・トムスク大学の天体観測所に在籍していて、故・ワシリエフ(N.Vasilyev)氏とともに国際ツングースカ調査の世話人でもあった。1950年8月13日生まれで、私より361日だけ早く誕生しているので親近感もあった。実
際、クラスノヤルスクで初めて会ったときに気さくな人柄に、これから向かうツングースカ異変地域をあれこれ想像して緊張していたのだが、頼もしそうで安心
したものだ。
私は彼に事件で倒れた木や、焦げた木に興味あるのだが見ることが出来るだろうかと、期待せずに尋ねた。なんと、彼の答えは「そんなもの、いくらでもある」という。私たち3人は顔を見合わせ、まさか、事件から84年も経っている のに、地上には目に見える形で事件の
跡は残っていないという前提で参加していた。私の英語じゃまともに通じなかったのだろうということになったのだが‥‥。
ところが彼は現地で巨大な倒木や焼け焦げた木をこれでもかというくらい見せてくれた。
彼はツングースカで非常に溌剌としていて頼りがいがあった。大きなリュックを背負って身軽に歩き、カモシカのように 山を登った。防虫スプレーにひるむことなく押し寄せてくる蚊の大群に辟易している私達を尻目にシャツやズボンを脱いで裸同然でタイ
ガの中を歩き回り平気であった。
(アブに刺されると大きな悲鳴を上げていたが……)現地に入った22名はいくつかのグループに分かれて調査を行ったがAndreev氏は全日程を我々日本人3人に同行してくれたし、夜も我々3人のところに来て、4人でクーリックの小屋で仲良く
並んで寝たものだ。
彼の天文学者としての業績は数多くあるのだろうが、ツングースカ関連ではワシリエフ氏と膨大な文献調査を行いツングースカ異変と関連する多くの現象を見出
している。またツングースカ物体の飛行経路についても研究を行っている。ツ
ングースカ関連の論文数は決して多くはないが、彼の頭の中では多くの研究資料と、ツングースカ異変地域を歩き回った経験が融合されつつあったのではないだ
ろうか、私にはそう思えてならない。それを公表する前に逝くとは……。私がツングースカに興味を持ち続けていれば、アンドレェフにまた必ず会えると思って
いた。1992年はあまりに予備知識が無かった、今ならいろいろ質問したいことが山ほどあるのに、残念でしかたない。
命日の8月13日は「聖ロレンツォの涙」とも呼ばれるペルセウス流星群の極大日である。中学生時代から晴れていれば必
ず観測しているが、これからは青白い流星を観測しながらアンドレェフのことを思い出すだろう。
*
写真は1992年8月7日、爆心地の北北西約8kmキムチュ川に架かる丸木橋を示す道標の場所での
G.Andreev氏 (丸木橋は洪水でなくなっている)
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