隕石亭雉子星>薔薇星雲

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           薔薇星雲                                              



ただひとこと「薔薇」とだけ、
    なんにも付け加えずにその名をいふとき
    その中に閉ざされた魂が恥じらいながら羞らひながら、
    その美しさを私達に渡すのをおまえも知るがいい。

この可憐な詩の「薔薇」を「星」に入れかえても、そのまま原文だと思うに違いない。むしろ自分にとっては「薔薇」よりも「星」のほうが適切のように思えて しまう。野草は好きだが人間の手で品種改良された園芸種は、きれいだと思っても惹かれることはない。特にバラは存在感が強すぎる。人為的に設計されたような完璧な花の形状。その美しさを誇ることはあっても、バラに羞恥心があるのだろうかと思 う。バラの花は可憐というのには華やかすぎる。

夜空にもバラの花がある。オリオンの近く、『一角獣座』のなかにある『バラ星雲』がそれである。
初めて見たバラ星雲はモノクロ写真であった。開いた花を真上から見たような見事に均整のとれた姿に驚いたものだが、カラー写真では鮮やかな赤いのだ。だれ が『バラ星雲』と名づけたのか、もっとも適切な名前であったのだ。しかし、この花は直接人間の目には見えないのだ。大きな望遠鏡を使えば一部はかろうじて 見えるのかもしれない、けれど決して全体を人間には見せないのだ。バラの花から 放射されるのが赤外線にピークがあるからで、人間の可視光線域の光ではないのだ。写真ではあまりに鮮やかにくっきりと暗い夜空に浮かんでいる。なんとか自 分でもこのバラを写真を撮りたいと思った。
天体の多くは写真で見るよりも、自分の眼で直接見るほうがずっときれいなものが多い。――こういう天体を強いて撮影しようという気はあまり起こらないのだが、写真でしか浮かび上がってこない天体も数多く存在する。

天文台で撮影された『バラ星雲』があまりに見事なものだから、簡単に写るものと考えていた。ところが、難物だった。淡 くてなかなか写ってくれないし、望遠鏡を通しても見えないのだから狙いを定めにくい。なんとか鑑賞に堪えるだけの写真になったのは'95年の12月の撮影 だった。『バラ星雲』の中心部にある星の配列をよく覚えておき、その星の集まりを目当に望遠鏡を向け、望遠鏡にカメラをセットしてピントを合わせる――といってもカメラのファインダーをのぞいても星はどうやってもボケていてどこでピントが 合っているのかさっぱり分からない。そこでナイフ・エッジ法というカミソリの刃を使って合わせる。簡単だが、原理的にぴったりと合うはずだ。こうして1時 間も露出して撮影したネガには大きくバラが写っていた。

bara

初めてまともに写った バラ星雲
1995年12月21日
16cm反射(F4.8)
 NikonF コニカカラーGX3200






暗黒の宇宙に浮かぶバラの花、もし宇宙船で近くに行けたらどんな眺めだろう。宇宙船の窓から見える星は凍りついたよう に瞬かない、無数の星達は美しいはずだが生物の気配は感じられない――無常の世界。特殊なフィルターを通して浮かび上がる赤外線の像、無数の星を背景に浮 かぶ生命を宿したかのような赤い花。
星間の宇宙旅行が普通のことになったときには名所として多くの宇宙船が集まるのだろうか。位置がよく分かっているから当然そうなると思うのだが、肉眼では 感じられないように簡単には見えないほうがいい。それは嫉妬に近いものだが、日蝕のように、あるいは『田毎の月』のように数年に1度しか見える条件になら ないということになったら……。
たとえば……数年に一度中心の星からX線あるいは紫外線の放射が爆発的に強くなり、そのときだけ肉眼でも見えるよう
になる。

いつ咲くか判らない宇宙の赤いバラ――それなら野草よりもバラのほうがよくにあう。

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