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           幻の宇宙船                                              



決して夢ではないと思うし、寝ぼけていたのでもないと思 う。眠かったのは確かだが、今でもその夜の7時のラジオニュースは耳の底に残っている。
『ソ連が月を回る宇宙船の打ち上げに成功した。宇宙飛行士が乗っている…』
確かにアナウンサーの読み上げるニュースを聞いたのだ。翌日新聞を見た、けれどニュースは載っ ていなかったが、学校で誰かに話した記憶もある。そ の翌日も、新聞にはそんなニュースはどこにも載っていなかったし、ラジオで再びこの関連のことを聞くこともなかった。最初の人間衛星「ヴォストーク1号」 や、アメリカの宇宙船のことは学習雑誌にもたびたび載っていた、だからとうぜん載るだろうと思っていた。けれど、待てど暮らせど新聞にも雑誌にも月を回っ た宇宙船のことなど載らないのだ。
これはどういうことだろう。
ヴォストーク1号が1961年4月だからこの年の冬か、翌年の1月か2月だと思う。コタツに 入っ横 になっていて聞いたのだから。
あの放送はいったいなんだったのだろうか、なにか別のことを報道していたのを先入観でかってに聞き違えたのだろうか。それにしたってあの当時で人間を月の近くまで送るという事は、あまりにとっぴな出来事だ、子供にそんな空想をできたとは思わない。

けれどソ連には月へ人間を送るだけのロケットがあったのは確かだ。すでに月にソ連のペナントを送りこんでいたし、月の裏側の写真を撮影していた。
あ のラジオ放送はもしかしたら誰かの悪戯か、それとも地球帰還に失敗し報道管制があったのか。いや、そんなことは当時の日本では出来ないだろう。別の次元か らの電波がたまたまこの世界に紛れ込んで受信したのかもしれない、と思うようこともあったが、それも誰も信じないだろうし、結局訳が判らないままになっ た。

1964年のことだと思うがソ連の宇宙飛行士レオーノフ中佐が初め て宇宙遊泳をした、その写真はプールの中で撮られた写真ではないかと疑われた。ソ連の秘密主義はいろんな憶測を呼んだものだ。確かにレオーノフ中佐は宇宙 遊泳をしたのだろうが、その証拠となる写真はなぜか失敗したのだろう。それで訓練中のプールでの写真を公表したのではないだろうかと言われたものだ。ソ連 は宇宙開発だけでなくいろんな面でわけの分からないことや秘密が多すぎた。世界最初の人工衛星の直後にライカ犬を乗せたスプートニク2号が打ち上げられ、 当時成功したと報じられていた。ライカ犬は無事に地球に戻ったものと思っていたが、最近やっと宇宙に出てすぐに息絶えたということを知った。

ガガーリン少佐の前にも秘密に人間衛星を打ち上げたが失敗したとか、ガガーリン少佐の後からも宇宙から帰還できない人間衛星の 話がいくつも出回っていた。これらのことは学習研究社から発行されていた、中学生の学習雑誌にはよく出ていた。その秘密の人間衛星からの無線通信を外国の 機関が受信しているが、ダミーを載せた試験衛星というのがソ連の言い分だ。

本当はどうなのだろう。ガガーリン少佐はその後、飛行訓練中に死亡したし(陰謀説がある)。コマロフ大佐は地球帰還に失敗して死亡したし。アメ リカでは火災事故で訓練中にアポロの飛行士3名が死亡している。……たしかに初期の宇宙飛行士は死を覚悟して志願したのだろう。アポロ11号だってあの程 度の低い、LSIもなく、ICの初歩的なものとトランジスタで出来たコンピュータでよく月に着陸できたのだと思う。それらを思うたびに、秘密のベールに包 まれたソ連の宇宙船と重ね、当時の宇宙飛行士は神話の英雄のようにも思ってしまう。

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