隕石亭雉子星>空へ

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           空へ                                             



部 屋の整理をしていたら8mm映写機のフイルムが出てきた。37年前(1974年)に作った熱気球を記録したものだ。顧問を入れて5人のグループで、借り物 のカメラで慌ただしい気球の操作のちょっとした合間に撮影したものがほとんどで、あまり良い場面は写っていないが、それでも動画の生々しい迫力に何回とな く映 写したものだ。しかし40年近くなればフイルムの退色も進んでいるだろう、映写機を持っていないため35年以上も映写して見ていない。いま別のメディアに しなければ2度と見られないのではないかと思い、DVDに変換してくれる業者をインターネットで探した。多くの業者があったが、なかにはひどい業者もある らしい。8mmフイルムをスクリーンに映写してそれをビデオカメラで撮影するという、簡単を言えば簡単、しかし映像はひどいものだろう。技術力のありそう な業者に依頼して約1週間、フイルムの映像が収められたDVDが届いた。早速パソコンで見てみると、BGMも入れてあった。フリッカーもなく、退色を感じ させない映像に、あのときの感激が蘇ってきた。

小 学校に上がる前は人間も練習すれば空を飛べると思っていた、なぜならマンガの主人公は空を飛んでいるからだ。小学校に上がる頃には人間は空を飛べないもの だと解ったが、そう簡単にあきらめられるものではない。生身の体だけでは飛べないが、自分で作った物で飛んだら鳥のような気持ちになれるのだろうと、それ から空飛ぶ模型はいくつも作った。ゴム動力の飛行機はもちろん、熱気球も小学5年生の頃には作ったし、飛ぶものではなく落ちるものも、つまりパラシュート はよく作った。中学2年生のときに、学校で作った紙製熱気球は高さ約1.5mのものでガスバーナーで飛ばした。
趣味や道楽で空を飛ぶにもいろんな方法があるが、当時(1970年代)はパラグライダーはまだ開発されていなかった。趣味の
エンジン付航 空機ではアメリカ、ベンゼン社のジャイロ・コプターが愛好者が全国にいて、近所でも熱中している人がいた。しかしエンジンはミサイル標的用無人機のものが 最適であるが入手は難しく、車用の物は回転数の割りに重く、苦労は多いようだった。航空エンジンを扱うにはそれなりの道具や設備が必要であり、1973年 に結局我々が選んだのは中学生時代に作った熱気球だった。雑誌で熱気球がアメリカでは、やっている人がいることを知っていたが、日本では4年前に (1973年の時点で)第1号が作られていてまだ冒険的な乗り物だった。怖いもの知らず の年代だったので、誰からも指導を受けず、借金で何とか作り上げた。


DANDELION1974 年10月13日に小千谷市小粟田で初の係留飛行に成功。それからも改良を続け、翌年8月に日本熱気球連盟主催の上士幌熱気球フェスティバルに参加(参加気 球6機)、2回の自由飛行を行った…自分で風に乗ったと思った。これがメーカー既製品の機体に乗って飛んだとしても、自分で空を飛んだ気持ちにはなれな かっただろう、乗せてもらったとしか思わなかっただろう。日本の空に自作機が飛んだのはほんの数年間で、以後はイギリスやアメリカのメーカー品ばかりに なった。それで満足している人達も多いが、金さえあればできる、そういうことはやりたくなかった(貧乏人の僻みだけれど)。我々の気球の登録番号はJA- A0010、日本で10番目の熱気球、自作機では9番目だそうだ。ふつう球体だけの手作りを、自作気球と言うが、我々のはバーナーもゴンドラ(バスケッ ト)も、ついでにサーミスタ温度計も手作りの完全自作気球で、最初で最後といわれたものだ(最後かどうかは まだ判らないけど…)


1975 年8月1日 
ダンデリオン(DANDELION)初の自由飛行
北海道上士幌町




 





日本で1番目になれるものは、と考えて熱飛行船を計画したのだが、模型を作ったところで先にやられてしまった。1977年「卑弥呼」が飛んだ。10人ほどのグ ループが作ったものでパソコンのない時代にコンピュータを使って設計したもので、計算尺と電卓の自分たちとは所詮環境が違い過ぎ、勝負にならなかったのだ。

habataki気球は浮揚の手段としては狂気じみているほど純粋なも のだと思う、けれど鳥の飛行とは違う。やはり鳥のように、あるいはトンボのように飛んでみたい。
オーニソプター(羽ばたき飛行機)もまた狂気じみている、 だから実用化されていないのだが、それだけに気球と同じく非現実的で、これが魅力だ。
1980年代にゴム動力の羽ばたき飛行機を作ったが、飛ぶというよりバタバタして、ややゆっくり落ちる程度の代物でしかなかった。羽ばたき飛行機の翼は上 下運動の際にほとんど形を変えない、しかし鳥の翼は上に持ち上げるときは空気抵抗が少なくなるように変形させ、振り下ろすときは空気が多くあたるようにし ているではないか。鳥の羽を作るのは無理なのだろうかと諦めかけたこともあった。

 

ゴム動力の羽ばたき飛行機(無尾翼4枚羽)
  2010年5月




傑作長編SF小説「デューン・砂の惑星」に主要な移動手段としてオーニソプターが登場してくる。SF小説に出てくるくらいだから荒唐無稽なものか、あるいは近未来には実用化できるのだろうか、考えてみても判らない。しかし、より魅力的になった。
アメリカの羽ばたき飛行機の研究会に入会して情報を集めた。
それによると、ドイツでは第二次世界大戦の頃から研究していたらしい。アメリカのNASAでも人力羽ばたき飛行機のプロジェクト、ダイダロス計画があったそうだ。日本でも人力羽ばたき飛行機「迦楼羅」(かるら)のプロジクトがあり、機体の製作は行われたが飛行にまで至らなかったようだ。海外ではラジコンの羽ばたき飛行機が販売されている。やはり羽ばたいて、鳥のように飛ぶ姿に魅せられた人は多いのだ。
これらの刺激を受けここ数年で20機ほどゴム動力の羽ばたき飛行機を作った。運動公園や野球場のグランドで飛ばすと1分以上も飛んでいることがある。飛び すぎて初飛行で行方不明になってしまった機体もある。おかしなゴム動力のプロペラ機よりもずっとよく飛ぶ。これで空を飛べたらなぁー、誰かがやるだろうけ ど。

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