隕石亭雉子星

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           ラジオ                                              




小学生の頃に憧れたことのひとつ に、ラジオを自由に組み立てることのできることだった。その頃は真空管ラジオで、わけのわからない部品を組み合わせて放送が受信できるのがとても不思議だった。「ひょっこりひょうたん島」の放送が終了した1968年春からテレビをあまり見なくなった。見たいものがなくなってしまったのだ。
その年に作った5球スーパーラジオが思った以上に良く聞こえ、夜になると全国各地の放送が受信できた。もともとBCLやアマチュア無線に興味を持っていた ので、自然にアマチュア局を開局したり、雑音だらけの中から遠くの放送局の電波を受信するのが楽しみになった。その頃は海外からの日本語放送がいくつも あった。VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)や、イギリスのBBC、オーストラリアの声、北京放送、モスクワ放送、アンデスの声、ベトナムの声、 ……
受信報告を送るとべリカードが送られてくるので、それが楽しみで聞いたことの無い局を探して電波の海をさまよったものだ。
北京放送からは「人民日報」がどっさり届いたこともあったし、モスクワ放送からはコケシみたいな人形が11個も届いた。これも聴取者サービスなのだろうが、国交を回復していない共産圏の国からこういう贈り物があると不思議な気持になった、何を狙っているのだろうかと。 そういえば北朝鮮の放送局も サービスが良かった。
日本国内の民放局も受信報告を送るとべリカードが送られてきた。記念すべき第1号は、2・3局も混信した中から弱々しく『四国放送』のアナウンスが聞こえてきた、徳島市に ある四国放送で、当時わずか3kwで放送していた。ここのカードは阿波踊り の写真を使った青い
色の素敵なものだった。
これがきっかけで全国民放中波局(AM局)すべてのカードを集めようと思った。遠くの放送局から受信を想定していない新潟にまでやってくる電波は弱くなっ ているので、まずその電波をそのまま増幅するプリセレクタを真空管2本で作ってラジオと接続し、アンテナも屋根に張った。 こうすると効果はてきめんで東京のTBS、文化放送、ニッポン放送が昼間でもきれいに受信できるようになった。これはすごく嬉しいことで休日の昼間はほと んどニッポン放送を聴いた。夜も21時過ぎからオールナイト・ニッポンまでほとんどニッポン放送を聴いていた。
こうして民放中波局のベリカードはどんどん集まったが、全国制覇には未だに至っていない。沖縄の2局が難関なのだ。同じ周波数で放送している局がいくつも あるため、その強力な電波に埋もれてしまっているのだ。しかし電波の伝播は予測がつかないことがあり、強力に聞こえていた局が突然弱々しくなることはよく 経験することだ。電波を反射させる電離層に変化があったりするのだろう。ということは粘り強く待っていれば聴こえるチャンスはあるのだ。
と、ここまでが高校時代のラジオ生活だ。

いまだに沖縄のAM局は聴く事ができないでいるが、沖縄からは普通は絶対に聴こえないFM沖縄を先に受信できた。1985年6月9日の正午過ぎ のことだった。FMのチューニングダイヤルをくるくる回していると、ふだんは入感しないところで、放送を受信できた。しばらく聴いていると『FM沖縄』と いうアナウンスが聴こえてきた。そして更に別の局も聴こえないかとダイヤルを回しているうちに英語の放送が……、 アメリカ軍のFENで沖縄からはFMで放送しているのだった。これは突然電離層が発生するEスポという現象時にVHFが異常伝播することがあり、そのときに偶然受信できたものだ。

高校時代にはドイツからの日本語放 送は無かったが1980年代の初めにはドイチェベレの日本語放送が始まった。この放送はきれいに入感するのでよく聴いた。1989年11月の頃だったと思 う。
「今日も東ドイツから多くの人がベルリンの壁を越えて西ドイツに来ています……」というような ニュースが聴こえてきた。これが『ベルリンの壁』の崩壊直前の様子を告げる放送だった。
日本のマスコミはまだ伝えていなかったと思う。歴史的な放送のひとつだと思う。それをリアルタイムで聴いたことでラジオのすごさを感じた。世界中の情報を 取り出して聴くことができるのだ、と。
テレビが無くてもかまわないけれどラジオの無い生活は、星・本・酒の無い生活と同じでまったくつまらないものだろう、もしかしたら耐えられないかもしれな い。ラジオの良さは究極の、ながらの情報・娯楽・癒しの道具だからだろう。もちろん真剣に聴くこともあるが、普段は何かをしながら聴いている。休日の前夜 ウィスキーを舐めながら、本を読み、そこにラジオからオールディーズが流れきたら至福の時になる。
土曜の午後8時といえばゴールデンタイムであるが、その2時間途中で1回お知らせがあっただけで、ひとりまたは1グループの曲を解説抜きでぶっ続けで流す 番組があった。民法にもかかわらずCMを入れないでである。これには驚いたし、このご時勢になんと太っ腹な放送局だと感心してしまった。
AMのラジオ放送は昼間はNHKと民放の数局しか聴けないが、夜には多くの民放局が入感するその中にはそのときの気分にあった放送が必ずある、といっても いい。ウィークデーの夜は、OBC大阪放送のニュース番組を、火曜午後9時の隔週には嘗てオールナイト・ニッポンのパーソナリティで後にニッポン放送の社 長だった『カメちゃん』がNHKでDJをしているので聞き逃せない。土曜夜はHBC北海道放送の2時間のフォークソングの番組を、日曜夜は福岡のRKB毎日放送の音楽番組を聴いた後TBC東北放送に合わせ眠くなるまで聴いている。

まだまだ知らない素敵な番組が多 くあるだろう、海外の放送も短波ではよく聴こえる、夜空に散らばる星々のように多くの電波が輝いているかのようだ。

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