現 象>調査史>ツングースカ異変の調査史について紹介します。 ツングースカ異変の調査・研究史 |
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1921年 ロシア・科学アカデミー鉱物博物館のクーリック(L.A.
Kulik)、隕石調査のためシベリアを訪れ1908年
1924年 地質学者オブルチェフ(S.V.Obruchev)はエベンキ人
の話として、ワナワラからそう離れていないところ
1925年
イルクーツク気象台長ウオズネンスキー(A.V.Voznesensky)、1908年6月30日の不思議な地震は
1927年 スースロフ(I.M.Suslov)はエベンキ人から聞き取り調
査をして、ポドカーメンナヤ・ツングースカ川に注
1927年
2月、クーリックと助手のギューリッヒはツングースカ隕石を捜す探検に出発。4月初めて大規模な倒木地
1928年
4月、クーリックと助手のスイチン2回目のツングースカ隕石探査に出発。ワナワラで映画技師が同行。
1929年 2月、クーリックは3回目のツングースカ隕石探査に出発。助手と
して天文学者クリノフ(L.A.Krinov)
1930年
イギリスの気象学者ホイップル
(Whipple Frensis Jone Uelsh)は1908年6月30日の空気波を外国の観測
1933年 クーリックは単独でツングースカを訪れ、航空写真撮影などの事前調査を行う。 1937年 クーリックとブルチェンコフ(I.E. Burchenkov)が率いる測地隊がツングースカを訪れ、三角測量ネットワークを構築した。
1938年 クーリックとブルチェンコフが率いる測地隊は前年に引き続き測地作業を続ける。
1939年 クーリック、4回目のツングースカ隕石探査。ユージノエ沼(南沼)の調査を行い、底に顕著な凸凹がある 1940年 クーリック、5回目のツングースカ隕石探査を行いユージノエ沼を再び調査する計画だったが中止。 1942年 クーリック、前年に志願兵として戦いドイツの捕虜になりチフスに 感染し死亡。
1946年 SF作家カザンツェフ(A.P.Kazantsev)短編小説
「爆発」を発表。ツングースカ異変のトンデモ説の先駆
1953年
地球化学者のフロレンスキー(K.P.Florensky)ポドカーメンナヤ・ツングースカ川流域の調査の折に異
1958年 フロレンスキーを隊長とする探検隊がツングースカ異変地域の調査
を行う。天文学者ゾートキン
1959年
ヴロンスキーの自主探検隊が調査を行う。プレハノフ(G.F.Plekhanov)を隊長としたトムスク大学の
1960年
ヴロンスキーを隊長とする科学アカデミー隕石委員会の探検隊、
KSE-2、コシエリョフを隊長とする 1961年 フロレンスキーを隊長とする隕石委員会の探検隊が調査。KSE-3もフロレンスキーの下で調査。
1962年〜
1990年
第1回国際ツングースカ調査がKSE-32と合同で行われる。ソ連のほかにフランス、ユーゴスラビア、
1991年
第2回国際ツングースカ調査がKSE-33と合同で行われる。外国からはボローニャ大学を中心とする
1992年
第3回国際ツングースカ調査がKSE-34と合同で行われる。アメリカ、イギリス、ドイツ、日本から初めて
1994年
安部亮介、篠田皎、第5回国際ツングースカ調査に参加するため集合地クラスノヤルスクに行くが、国際 1999年 イタリア・ボローニャ大学を中心とする調査隊が爆心地の北約8kmのチェコ湖を中心に調査を行う。
2002年 イタリア・ボローニャ大学とロシアのトムスク州立大学、トムスク
工科大学の合同調査隊がチェコ湖を中心 |